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復讐記
郷土史研究家が記した手記の一部。
大昔の戎ヶ丘の歴史や信仰に関する研究みたいだけど、何故こんな恐ろしい題を付けたんだろう。
太古の昔。
八つの頭を持つ巨大な龍の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)は、美しい娘を生贄に捧げさせてはこれを食らっていたという。
これを知った猛き神、須佐之男命(スサノオノミコト)は八つの酒桶で八岐大蛇を酔い潰し、八つの頭を全てはねて退治したと日本書紀に記されている。
戎ヶ丘の最古の歴史書、万事記によると、須佐之男命がはねた八岐大蛇の首のひとつは遥か西の彼方へ飛び、比嘉国(ひがのくに)の山中に落ちたという。
この首がやがて毒水を吐き出す水龍となって蘇り、長くこの地に留まり、その毒水で人々を苦しめたという。
比嘉国は現在の当地方にあたる。
戎ヶ丘地区では過去に、有毒ガスを含んだ地下水の噴出が記録されており、これが毒水を吐く水龍に見立てられたのではないかと推察する。
しかし、万事記には首が飛んできたと記しているが、大元の日本書紀にそのような記述は見られない。
推察するに、有毒ガスの地下水噴出を神格化することで益を得ようとした浅ましい人々が、著名な歴史書からの引用と紐付けて神格化を目論んだというところだろう。
それから時代が下り、平安時代末期。
かの源平合戦が起こり、敗れた平家の落ち武者達は各地に散って隠れ潜んだ。
戎ヶ丘にも落ち武者達の隠れ里があったとする古い伝承がある。
この地は、有毒ガスを含む地下水の噴出が度々あることが知られ、近付く者はなかった。
その為、隠れ里を作るには都合がよかっただろうと推察する。
ただ、戎ヶ丘の古文書にも、水龍の毒水によって人々が難儀したという記述は見られる。
そのような生活の中では、水龍の怒りを鎮めようと信仰の対象にするのは当然だろう。
にもかかわらず、当時は盛んだった水龍信仰の面影は、今は一切残っていない。
祈る神さえ、その時々の都合で変わるという人間の浅ましさが示されている。
鎌倉時代の中頃に記されたと思われる歴史書に、水龍信仰の終わりと、御神木信仰の始まりを記したらしいものを見つけた。
それによると、ある時、いくつもの面を被り身の丈が十尺を超える異形の僧が訪れたというのである。
いくら何でも大き過ぎる。馬鹿馬鹿しい。
その僧は、後に御神木と呼ばれ信仰の対象となる杉の大樹に人々を招き、こう告げた。
「水龍の怒りに怯えし者達よ、安堵せよ。この地の水龍は眠りに就こうとしている。なぜならば水龍の邪気を大樹が吸い取り続けているからである。神聖な大樹を崇め敬えば大樹は永久に水龍を眠らせてこの地を守り続けるであろう」
この地の人々は、そのお告げに従い、水龍信仰を捨て、御神木信仰に鞍替えするのである。
その御神木信仰も、次第に姿を変えていく。
隠れ里である為に交易が出来ず、道具を大事にする文化が芽生え、そこから付喪神信仰が生まれる。
万事記には、古い道具を供養する為に御神木の洞の中にお供えしたという記述がある。
つまり、さらに異なる信仰が混交するのだ。
それにしても、十尺を超える僧だの、
杉の大樹だの、そもそも八岐大蛇さえも。
大きければ何にでも神を感じてしまう人間の
なんと馬鹿馬鹿しいことか。
そして江戸時代に至り、再びこの地の信仰を揺るがす事件が起こる。
信仰の中心であった御神木が、落雷に打たれ焼けたのである。
この頃には付喪神信仰の影響で、古いほどに神聖が宿るという考えが定着していた。
御神木は水龍を鎮めてくれるから崇められているのではなく、この村で一番古いから崇められていることになっていたのである。
その為、人々は杉の大樹の次に古い物を新たな御神体に選ぶことに決める。
その結果、選ばれたのが、村の中にあった古い稲荷像であった。
すると人々は稲荷像そのものを信仰するようになり、付喪神信仰と混交した戎ヶ丘独自の似非稲荷信仰が誕生することになる。
よって、戎ヶ丘の稲荷信仰は、日本全国の稲荷信仰とは何の関係もなく、その歴史もとても浅いものなのである。
この信仰対象の交代劇も、神格化する為に当時の神職たちによって神懸りな物語に仕立てられている。それが以下のものだ。
御神木を落雷で失ったこの地は加護を失い、太古の邪悪な水龍が目覚めようとしていた。
その危機を知り、西方より来た善狐の一族が再び水龍を眠りに就かせてくれたという。
信仰は力となる。力が絶えれば水龍は再び目覚めてしまう。
だから、新たな神となるお稲荷様を崇め敬えというものだ。
水龍、御神木、付喪神、そして今度はお稲荷様。
人間の都合でコロコロと変えているくせに千年の信仰があると信じているのだ。
つくづく人間の浅はかさには呆れる。
21日に戎ヶ丘集落にて白昼堂々と行われた阿鼻叫喚の無差別大量殺人事件は13人もの犠牲者を出す痛ましいものであるにもかかわらず、警察は未だ犯人検挙に至っていない。
(明治13年5月22日、金州新聞朝刊)
とても凄惨な事件だが、捜査に進展がなく、その後に近隣で大規模なダム工事が始まって戎ヶ丘は労働者たちの中継地として急速に栄えた為、人々はすぐに忘れていった。
だが、この事件はとても興味深いものだ。
複数の目撃証言によると犯人は身長2m以上の巨漢で、全身を木の皮や根で作った鎧で包み、その顔には能面を被っていたという。
そして村をかっ歩してこう言ったらしい。
「誤った神を崇めてはならぬ。狐を崇めることを止めよ。狐像を全て打ち壊せ。御神木を敬わねば水龍が眠りを覚まし、毒水にてこの地を滅ぼすであろう」
そして、手にした刀で次々に村人を切り捨てて回ったのである。
私が推察するに、犯人はおそらく、御神木信仰の狂信的な原理主義者だろう。
御神木信仰を正しく知る者にとっては、信仰の対象が御神木から稲荷像に奪われたのは許し難いことのはずだ。
恐らくは犯人のおかしな身なりも、御神木を崇拝するように告げたという鎌倉時代の怪僧を模したものと考えられる。
なお、目撃情報によると“犯人の最期”もわかっている。
例によって大仰に神格化されている。
「霧が立ち込めると、怪しげに輝く狐たちが現れ、犯人の周りをぐるぐる回りながら取り囲むと、全て霧に飲まれて消えてしまった」
馬鹿馬鹿しい。
私の父は、町会神社部による町会費横領疑惑を勇気をもって告発したのだ。
だが、父が事故で亡くなると、彼らはそれをお稲荷様の祟りだと吹聴した。
その日以来。私は無神論者になった。
神も仏も、祟りも呪いも信じない。
そして歴史研究家を名乗り、この地の信仰や伝承を調べ始めた。
彼らがありがたがる信仰の正体が、人間の都合で神格化した与太話に過ぎないことを暴く。それが私の復讐なのだ。
このような遺言めいたことを記すのは、私の健康上の不安によるものだ。
今月の初め頃から、急に食欲が落ち始めた。
3週間を経ても空腹を覚えず、無理をして食事を試みるが、吐き戻してしまう。
2日前。粥を啜ってみたがやはり吐き戻してしまう。
その吐いた粥の中に動くものがある。
それは、イナゴの幼虫、だった。
昨日。深夜に唐突に咽込んで目を覚ます。
口の中に何かがチクチクとうごめく違和感。それを吐き出して灯りをつけると、それはバッタとコオロギであった。
そして10匹を超える昆虫たちが布団の上を飛び交っているのである。
私は咳と共に蟲を吐き出していたのだ。
こんなの誰かに見られたら、祟り呼ばわりされてしまう。医者には行けない。
未明。再び激しい咳と無数の蟲。
私が吐き出した蟲たちがカーテンにしがみ付き、畳の上を覆い尽くしている。
体はもう、骨と皮だけのような状態だ。
なのに頭は逆に膨張しているように感じる。
頭を振るとカサカサと音が聞こえる。
私の頭の中はもう、蟲か、あるいはその卵でいっぱいなのかもしれない。
つい先ほど、頭が割れるかと思うほどの激しい頭痛。その後、痛みは嘘のように消えるが、咳と蟲は増え続ける一方だ。
私は明日を迎えられない気がする。
しかし、これが神を辱めようとしたことへの祟りだなどと、私は断じて認めない。
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